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「ふるさとは語ることなし」後編
 
「ふるさと」とは生まれ育った所を離れてはじめて成立する。私の場合、群馬県の桐生で生まれ二歳で父を亡くすまでそこで育ち、父が亡くなってからは東京で暮らした。

 従って私が新潟を「ふるさと」と呼ぶのは正しくない、にもかかわらず私にとって一ふるさと」と呼べる所は新潟以外に考えられないのである。

 何故ここが私の「ふるさと」であるか、些か強引な理由付けをするなら、父から受け継いだ本籍地が新潟県新津市であり、そのまま私もこの本籍地を引き継いでいると言うことだろうか。
 しかし、この本籍も父の生まれ育った場所でなく、祖父の代の住所らしい。父が何故亡くなるまで新津を本籍地にしていたか真意の程は解らない。これを父が「ふるさと」に郷愁をもってあえて本籍地を変えなかったと見るのは、どうもこじつけすぎのような気もする。

 私の場合は、住まいが変わる度「此処に何年住むか分からない」そんな思いで、そのままにしてしまってきたと言うのが実状である。実際にはどこを本籍地にしてもかまわなかった。父もこんな気持ちで本籍を移さずにいたのかも知れない。
 しかし、受け継ぐなどと大仰に構えることもない本籍地であるが、気が付くと自分と父を結ぶ数少ない絆になっていた。
 
それにしても
「ふるさと」とは
不思議な ニュアンスを秘めた
言葉である。類語に郷里とか故郷と
言うのがある。こちらはある程度の具体性をもつが、ふるさとという言葉には生まれ育った所と言う他にルーツと言った自分の根底に流れる起源を指すような言葉にも思われる。

 本籍地と「ふるさと」…海からの風に吹かれ安吾碑を見ながらそんなことを思う。


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