坂口安吾生誕祭104レポート

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■「北の街を歩く、南の風と共に」    安吾の会 久志田 渉

 今年の「安吾生誕祭」には、記念講演の講師として作家・中上紀さんをお迎えした。紀さんの父、中上健次(1946−1992)と新潟には強い絆がある。1987年10月20日の「安吾の会」発足時、中上は「(安吾亡き後の)現認者」として来港。以後、1990年までの4年間に7回も新潟に足を運んでいる。「安吾の会」やその事務局「シネ・ウインド」周辺の人々を、中上は「お前たちはアメーバのように細胞分裂し、それぞれが核を持って行動している」と評し、新潟の安吾を愛する人々と交流を深めた。1990年5月5日、中上健次・柄谷行人・筒井康隆の3氏を迎えた講演会「風と光と三人の文士」が契機となって、「日本文芸家協会」脱退(永山則夫の入会拒否に対する抗議)が宣言されたことを記憶されている方もいるのではないか。

 その中上の長女である紀さんを迎えるとあって、生誕祭スタッフの気合も例年以上に高まった。穏やかな日差しに恵まれた10月16日(土)、第一部会場となる「安吾 風の館」は大勢の聴講者で賑わった。安吾長男・坂口綱男さんと「風の館」学芸員・岩田多佳子さんによる展示解説。安吾が旅した高知・高千穂・富山・新潟の風景と、綱男さんがフィルムに収めたイタリア・ドイツ・イギリスの光。「もし父が生きていて、海外の風景を見たら、どんな事を思ったのだろう」という綱男さんの言葉に、書かれることの無かった「安吾世界地理」(?)の広がりを想像してしまう。

 「風の館」から講演会会場の新潟市美術館までは、「安吾の会」の西大畑地元コンビが道案内を担当した。日頃の近道や猫探し・坂道観察で歩き慣れた道。そこかしこに安吾が暮らした時代の息吹や、名残が留まっていることに気付かされる。聴講者から「こんなに素敵な路地があるなんて知らなかった」「道がキレイに整備されてますね」と指摘され、この西大畑に暮らす喜びまで感じてしまった(ちょっとした「ブラタモリ」気分)。

 美術館講堂での紀さんによる講演は「安吾と中上 新潟と熊野」。初めて新潟市を訪れたという紀さんは「初めての土地では、まず川を探す。信濃川の風景に新宮(中上健次の故郷)に通じるものを感じた」と語る。ひとつひとつの言葉を丁寧に紡ぎながら、紀さんは父・健次と、父が愛した安吾の親和性を探っていった。紀さんが指摘したのは、2人の作家に共通する「巫女」的な感性。何かに動かされるように作品を生み出し、生命力に溢れた中上と安吾。シャーマニズムや韓国のムーダンに関心を持つ紀さんならではの視点だ。「自らの血や骨を削って物を書く」2人の作家、そして紀さんのルーツである熊野の風が身近に迫ってくるような講演だった。

 講演に続いては、紀さんと綱男さんによる対談。初対面のお二人だったが、紀さんが「綱男さんと会えて良かった」と語る程に、和気藹々としたトークが展開された。文章を書くこと、父という存在と対峙すること。時間の関係で、これからという所で対談が終わったのは、残念だった。

 翌17日(日)、綱男さん・岩田さん、「安吾の会」の鈴木智恵子・久志田が、紀さんを案内して新潟を歩いた。大逆事件の弁護士・平出修の歌碑(紀さんは大逆事件に強い関心を持っているそうだ)、「安吾 風の館」とその周辺。秋晴れの下、新潟大神宮では婚礼の巫女舞に、「安吾生誕碑」前では蜘蛛の巣と戯れる幼い兄弟と出逢った。「猿飛佐助」ごっこに興じていた幼い安吾の姿を、思わず想像してしまう。護国神社の「安吾詩碑」を経由して、日本海に向かう。この日の海は翡翠色に輝き、どこか「日本海」のイメージと異なっていた。「新宮から見る太平洋みたいですね」という紀さんの言葉通り、安吾・中上の魂が見せてくれた幻影のようだった。紀さんと新潟、そして新潟と熊野の新しい絆。今回の「生誕祭」を契機に、その絆を深めて行きたい。

 「安吾生誕祭」から4日後の10月20日(水)は坂口安吾の104回目となる誕生日。今年も「安吾の会」主催で「安吾誕生祭」を開催した。例年通り、護国神社の「安吾詩碑」をキャンドルで彩り、献杯。朧月からの光と、キャンドルの灯りが混じり合い、不思議な美しさが碑の前に現れた。その後の懇親会まで、安吾と中上を巡って熱い言葉?(「安吾の会」ならではの自由過ぎるオシャベリ)が飛び交ったことを追記します。



 

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