作品紹介
 
呉清源・坂口安吾対局
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  八段 呉 清 源
  五子 坂口安吾
                  黒白童子
本誌独占企画による呉清源氏―一般名士の対局は、まず前号に元政界の大立者鳩山一郎氏の敢闘譜を紹介し、大好評を得たが、今回は戦後文壇の花形坂口安吾氏に文士を代表しての出馬を乞うた。期待にたがわず鬼才坂口氏は玄人ハダシの妙手を連発、巨豪呉氏をしばしば長考させるなど熱戦四時間の末、こゝに珍重すべき譜をもの(ヽヽ)された。

 特選小説「失恋難」で本誌読者諸氏にはせんこくお馴染みの坂口安吾氏、今日は文壇代表という重任? をになつての登場である。
 新調の背広を一着におよび、綺麗にヒゲをあたつているが、相変らず髪ボウボウのノーネクタイ、対局場所の奥座敷へ通つて、
「呉氏のような精神家にはね君、科学の力でゆくよりテはないからね」
 とポケットから例の頭脳明快薬と称するゼドリンを取出してみせて、一席弁ずる。
 氏と挨拶を交わし、雑談の後記録子にそろそろ始めましようとうながされて席につく。
「六ツ置こう」
 と坂口氏、早速石をつかむ。かつて豊島与志雄、川端康成など文壇のお歴々が、呉氏に五子を布いて撫斬りにされたのをちやんと覚えている。
「あの頃より皆さん上つていると思うから五子でいゝでしよう」
 と呉氏。無理だよ五子では、坂口氏ちよつと渋い顔をするが、天井を睨んで目をパチパチさせると、決然たる顔つきになり、
「五子か、よし行こう」
 と大あぐらをかく。中学時代ハイ・ジャンプの日本選手権保持者だつたと自称する氏の体格はなかなか立派で、一見女性的な呉氏とはいゝ対照である。例の国民服できちんと正座した呉氏が、静かに一礼して白一と美しい指をのばす。十二時四十分。

   覇 気 満 々

 ▽第一譜(呉・安吾対局譜1が開きます 黒十は普通十九の点にコスんでウケる。この十は今後戦わんとする気合のこもつた石だが、呉氏は「覇気がある」と認めているのだが次の黒十二は
呉氏評――十二はヲ5に飛びツケがキビシイ、それを白もし十三にハネ出すなら黒三三、白三十、黒三五、白二四、黒十五でシチョウに取る手がある。
黒六と十二では間隙があるので白は十三、十五に出てくる。黒十四は疑問だが、あとの石はすべて当然、白二三まで当然の手順。黒二四のとき坂口氏、「スジを見つけた」とばかり気負つて打つたが、白二七と逃げられるスジを読み落した。
呉氏評――黒二四はキビシイ石だが、先きに一応黒ヨ1を利かせてからなら成功した。
この手順はつまり黒ソ4、白ソ3、黒タ3、白レ1、黒ヨ1ときまりつけ、白タ1とウケさせてから黒二四ならば、白二七でも黒三十と逃出して白三三と追う手がない。つまり白二七の手がないわけだつた。
 坂口氏こゝに一失したが、五子も置いては前途は長い。黒二六は白二七を予想しなかつたからかも知れぬが、二四とツケタ以上ともかく二六と打つた。
呉氏評――黒二六は三五に切り、白二七、黒ヲ5、白三十に抜き、黒カ6の形をとりたい。白三子が浮くから黒は打ちよい。
黒三八と押えてこれ迄の接衝は一段落。白はフルに石を働かせており、黒は突きぬかれた形で歩が悪いが前途はこれからである。白三九、四一と幻惑しに来たのを黒四二以下、上から塗りこんだ手並みは上乗。四二をもし四四と打てば白に四二と切られて混乱がくる。

   玄 人 の 気 合

 ▽第二譜(呉・安吾対局譜2が開きます 石数は次第に下辺に寄つた所へ及んできたが、坂口氏設計に苦心サンタンである。前屈みの姿勢で傍目も振らずに考えるこの間、次から次とピースに火をつけ、タバコを手から離さない。畳の上や盤の隅に灰を落して無我夢中で眼は石の行衛を追つている。呉氏はこの間、舟をこぐように上体を動かしている。
呉氏評――黒五二は早期に失する。下辺五九の点に先鞭するのが手順。
黒五二と打てば白五三以下五五の一連の石、黒リ7か五六かを打ちたくなる。それで白五九と打たれた。坂口氏長考また長考、必死に考えて六十としまる。右辺黒六二と狙つて、次六四の犠牲はいやな石だ。六四はたゞ六八に突当り、次ロ14に渡つてくる石だろう。
 左方に白七七ときた時、坂口氏いつたんこれを放置、七八と反撃に出た。これが因で盤上嵐を呼ぶことになるが、これから坂口氏、無性に闘争力を発揮する。白七九と呉氏間髪を入れず逆襲する。黒八十となつて坂口氏「取るものは取つちまえ」とばかり白三子を取る。
呉氏評――黒七八では先ずヘ13にアテ、白ホ12、次に黒八十とツケて白九十、黒八九と打つのがスジ。もし白次に七八なら黒八五、白ワ18、黒八二、白ヲ19の時、黒リ17でシチョウがよろしい。
その取り方なら左方の黒は、たとえ次白九三でもまだ掴つているわけではなかつた。坂口氏右方の石を取つてから、左方の石を逃げようと九四。この時呉氏「ウーム」と唸つて腕組みをし、そのまゝの姿勢で盤上にかぶさるようにして考え込む。容易に次の石を下そうとしない。
呉氏評――黒九四のツケは玄人の碁の勝負の気合でハゲしい手です。これを白百にハネルと黒九七にハネ返して仕事をしようとする。次白九九、黒ヨ10、白レ12と打たせて次黒リ7と上方の白大石を大きく攻め、その結果どうなるか難かしい所で、専門家が最も時間を使う所です。
坂口氏の九四はまさかそう正確に読んだものでもなかろうが、感が鋭く、ツボにいつた手であることは確かである。

   大 殺 陣 行

 ▽第三譜(呉・安吾対局譜3が開きます) 白三と大きく取りに出る。黒は四、八と抵抗したが、所詮逃げ切れぬと見て坂口氏、十と飛出して切違えに出た。外からシメつけて攻め取ろうとの魂タンである。この切違えから大殺陣の展開となる。五子置く上手に向つて「喧嘩」を吹ッかけて、読み落しなく打つて行くには相当な力がいる。坂口氏、闘志満々星のような瞳を光らせ、あくまで上辺の白大石を討ち取るつもりだ。黒二二以下再び切違えて上方の白大石をとうと討取つてしまつたのは坂口氏の「喧嘩力」を証明して余りある。しかし勝負の上では疑問が残る。黒が見切りをつけた左下方の地は大きい。
次に途中の黒二二は突然方向を変えたような手だが
呉氏評――黒二二は時の最善の手です。黒にはこの場合二二で四九に曲りもなく、また二五にハネもない時だ。曲りは手足らず、ハネは白二四、黒二三、白ヲ9、黒二七なら白三九である。
この黒二二を発見したのは坂口氏の力の強いゆえんである。

   散 る 安 吾

 ▽第四譜(呉・安吾対局譜4が開きます さて黒は中央のシノギ如何の勝負所になつたが、黒六四、六六、六八と一石も間違つた手は打たない。ことに六八は正確なシノギでこの一手である。もし白六九で七十、黒リ14、白チ14でも黒六九、その時白チ13にさし込んでも黒ト14に出て、六八は捨て打つ凌ぎである。その他の変化にも応じまた白六九でリ14、黒七十、白ヌ13、黒ヌ12、白六九となつての劫で、白はヌ9を狙う劫材でくる手もあるが、黒やはり凌げる。これらの読みに狂いのないのは坂口氏の眼力の確かな所だ。
 以上坂口氏よく凌いだものゝ、白七三と下辺の石まで白に連れ戻されては、一局の勝負はついた。黒十目がらみ不足である。坂口氏は素人のよさで苦心サンタン、ヨセを打つたのだが、「散る日本」の作者はこゝに「散る安吾」と自分の手で、呉清源挑戦碁の標題を書く仕儀になつた。終了四時三十五分。
「新潟から兄が来ているんだよ。僕は相当ホラを吹いて来たんだが、敗けてしまつてはね。五子なんて最初から無理だよ君、僕が敗けたのは、すべて五子に値切つた(月刊読売)の責任だよ。しかし、石を取つたからね、僕は天下の呉清源の石を取つた。いゝ気持ちだよこれは――」
 と、強がりをいつて、春風の吹く街へ、飄々と出て行つた。
(『月刊読売』1948年5月号。世田谷文学館所蔵)