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「チッポケな斧」

 チャタレイ裁判の愚かさを理路整然と説いた告発エッセイ。

 安吾は根っからマジメな人だったので、志の高い文学作品とその翻訳者、出版社がワイセツ罪に問われることに対して、世に忠言しておく必要がある、と考えた。非を断ち切るにはあまりに「チッポケな斧」だが、歴史や世界に対する、それが一文学者の責務だと。

 大げさに聞こえるかもしれないが、安吾の心配は杞憂ではなかった。同じように真率な声を上げた人も数多くいたが、最高裁で有罪が確定してしまう(安吾没後)。伊藤整の全訳版『チャタレイ夫人の恋人』が読めるようになったのは、裁判から40年以上もたった後のことだ。「チッポケな斧」でも完全な無力ではなかったことがせめてもの救いか。

 一冊の本が芸術かワイセツかを問うのは、問い自体がナンセンスだ。谷崎作品をはじめ、優れた芸術でありつつ非常にワイセツなものは数多い。むしろ、ある種の文学においては、ワイセツ性の極みを描ききることと、人間の真実に深く踏み込むこととが同義なのだ。

 つまり、ワイセツを断罪するなら、芸術も死滅する。

 では、誰がワイセツを罪となし、誰がワイセツ性を判定するのか?

 安吾はこれに対して、目に見えない超越者・絶対者の存在を指摘する。「民意」という絶対者だ。権威を盲信する、因襲に凝り固まった、「民意」。いつの世も同じ。知識人と称する「デクノボー」たちが、自分の意見をもたない「信者」たちを煽動して作り上げた「健全な道義」。こいつが反権力的な「真理」を排除しようと躍起になる。

 その底には「もっと俗な、文学や芸術に対する敵意や侮蔑があるようだ」と安吾は看破する。だからこそ「好色読物」は相手にせず、高尚な文学とされたチャタレイを、あえて槍玉に挙げたのだ、と。実際、小説=害毒、という考えは、現代でも根強く残っている。

 最高裁の答えは「(ワイセツの)判断基準は、裁判官の社会通念による」だった。やはり謎の「民意」が“自分たちもやっている”セックスを「ワイセツ」と判断したわけだ。

 安吾はチャタレイ裁判を何度も傍聴し、本作のほか「裁かれるチャタレイ夫人」「被告席の感情」「チャタレイ傍聴記」「見事な整理」などで裁判の愚かさを告発しつづけた。

 
(七北数人)  
 
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