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「文芸時評〔1942.5.10〜5.13〕」

 文芸時評と銘打ちながら、全く時評していない文学論。4日間、新聞連載された。

 戦後、安吾は「感想家の生れでるために」の中で「文芸時評はない方がよい」と明言した。「下品で、不潔俗悪で、百害あるのみだからである」と。ただし、これは戦後の迎合評論家たちに対する嫌悪と怒りから出た言葉なので、そのままには受け取れない。

 事実、安吾自身かなりの量の文芸時評を書いている。1935年の「悲願に就て」と「枯淡の風格を排す」も、共に「文芸時評」の冠で雑誌掲載されたので、これらを含め安吾は全部で8篇の文芸時評を発表した。各紙誌に3〜7回ずつ連載、のべ40回にのぼる。

 どの時評も、突っ走って時評を超えた熱い文学論になる傾向はあったが、本作ほど型破りなものはない。戦争まっただ中で、やはり終戦直後同様、下品で不潔な百害のみの時評が蔓延していたのか、「文芸時評」拒否の姿勢を挑戦的に示したものだろう。

 内容は順に、戦記、私小説、歴史小説について。

 はじめに「ガリヤ戦記」になぞらえて日本軍参謀や指揮官たちの戦況談話を絶賛している。またぞろ短絡的な評論家がソレミロ戦争協力してるじゃないか、とバッシングを浴びせそうだが、ここには戦後もずっと続く安吾の全体小説志向がある。指揮官たちの目の位置が羨ましいのだ。敵味方の情勢を見、世界の動きを予測しながら作戦を立てる。予測が外れた時には、指揮官本人にも意外な手足が「戦争」という体から延び始めたりする。生身の人間以上に人間くさい「戦争」というものの生態を、安吾は「火」や「信長」などの長篇で描こうとした。経験したこともない指揮官の立場を懸命に空想して――。

 当時の安吾は歴史長篇「島原の乱」に力を注ぎ、複雑な思惑が絡まり合う乱の全体像をつかもうと模索に模索を重ね、歴史を生々しく思い描こうとしていた。

 歴史もの以外では、「真珠」や「二十一」など、私小説スタイルのものが多くなった。

 両様の小説を執筆しながら、思うところが強くあっただろう。そういうものが全部、ここに出ている。タイトルのせいで単行本収録されなかったが、重要な「作品」といえる。

 茶目っ気なのか、ラストの1行だけ、時評をしてみせる。1行だけなので、正宗白鳥の「根なし草」と太宰治の「水仙」が、とてつもない傑作に見えてくる。

 
(七北数人)  
 
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